コンサルキャリアで最も特筆すべきことは、「ネクストキャリアを見越した入社」の方が多いことでしょう。
そして、コンサルに入社した方の多くが直面するのが、以下のような問いです。
- いつファームを去るべきか
- コンサルを経由したからこそ行けるネクストキャリアはどこか
- 年収の増減をどう捉えるか
本シリーズでは、実際にコンサルを卒業してネクストキャリアを歩まれる方々にインタビューをし、ポストコンサルキャリアの実録を集めていきます。
実録:支援する側から、つくる側へ。コンサル×FASを経て総合商社へ踏み出した30歳の決断
新卒で入社したベイカレントでは、泥臭いPMI案件の最前線でタフさと現場力を鍛え、BIG4 FASではM&Aの専門知識とグローバルな視野を磨いてきたPさん。
順調なキャリアを歩み、マネージャー昇進目前にいたにもかかわらず、30歳の節目で彼は大きく舵を切ります。「このままでいいのか?」という静かな問いに向き合い、コンサルタントではなく事業の担い手として仕事に向き合うため、総合商社への転身を選びました。
本記事では、Pさんが語ったキャリアの葛藤、環境ごとの学び、そして事業をつくる側に移った今の手応えを、実際の言葉と共に紐解いていきます。
ベイカレントで身についた、キャリアの土台
Pさんがキャリアの第一歩を踏み出したのは、2018年、新卒で入社したベイカレントコンサルティングでした。もともと業界への強いこだわりはなく、「デベロッパーや商社など、幅広く就活をしていた」と話します。
そんな中、入社を決めた理由は「人」。人事担当者とコミュニケーションを重ねるにつれて信頼関係が生まれ、「業界を決めきれていないなら、ここで幅広く経験してみてもいいのでは」と背中を押されたことが決定打になりました。
入社後はIT・業務・戦略と幅広い案件を経験。特に印象に残っているのが保険会社同士のPMI支援案件です。常駐先にはベイカレント以外に複数のファームが入り込み、立場も価値観も異なるメンバーがひしめいていました。
「期限が迫っているのに、各ファームが担当している仕事がまったく進んでいない。コンサルタントとしての仕事で一番胆力が試される案件だったと思います(笑)」
クライアント同士だけでなく、コンサル同士でも緊張が高まり、時には激しい口論になるほど険悪な空気が漂っていたといいます。チーム全体がナーバスになり、他ファームが撤退していく一方、最後まで残り続けたのがベイカレントでした。
あれくらい厳しい案件を経験すると、普通に詰められる程度ではびくともしなくなりましたね。苦しい案件でしたが、コンサルタントとして一番成長できたのも、その案件がきっかけでした。
タフさが身についただけでなく、現場での振る舞いにも磨きがかかりました。常駐を通じて、クライアントと日々対峙することで、議事録の作成、正確なドキュメンテーション、パワーポイント作成スキル等、社会人・コンサルタントとしての基礎が徹底的に鍛えられていったのです。
さらに、若手時代はベイカレントならではの文化を徹底的に教えられた、とも語ります。とりわけ、「上司からクライアントの前で『コンサル顔するな』と言われた」というエピソードは象徴的です。若手のうちは、たとえコピー取りのような雑務でも、積極的に手を出す。旧来のコンサルらしいプライドの高さや、高飛車な態度は徹底的に戒められ、「クライアントのためになるなら何でもやる」姿勢を叩き込まれました。
その結果、単なるスキルだけでなく、謙虚さや現場への向き合い方が身体に染み込んでいきました。他ファームが引く中でも成果を出し続け、継続案件につながった経験は、コンサルタントとしての在り方を深く形づくる転機となりました。
厳しい環境で培った「タフネス」と「謙虚に成果を出す力」は、Pさんにとって揺るがない武器です。「何が来てもつぶれることはない」という確信は、この時期に形成されたものでした。
DXへの飽和感と、BIG4 FASへの一歩
ベイカレントでの3年間は濃密だった一方で、Pさんの中には徐々に「飽和感」が芽生え始めていました。IT・業務・戦略と幅広い案件に携わっているように見えても、「DX案件ばかりやってきたので飽きてきた」という実感が強まっていきました。どのプロジェクトも最終的にはデジタル化の流れに収束し、「DXの繰り返し」とも言える環境に、物足りなさが生まれていたのです。
そんな中で転機となったのが、当時一緒に働いていた上司の存在でした。その上司はBIG4 FASからベイカレントへ転職しており、仕事の節々でPさんに「FAS行ってみれば?」と声をかけていた、といいます。軽いフィードバックのようなその一言が心に残り、これまで触れることのなかったM&Aの世界に自然と興味が湧き始めました。
ただ、簡単な決断ではありませんでした。「キャリアとして一貫性に欠けるのではないか?」という不安は強く、ITやDX関連の経験を積んできた自分が、専門性であるFASでやっていけるのか。悩ましい気持ちもありましたが、最後は「ITか財務のどちらもわかるジェネラリストになれれば需要はあるのではないか」と感じたことが、背中を押しました。
尊敬する上司のアドバイスを受けて、BIG4 FASに入って実感したのは、ベイカレントとは別物だ、ということでした。
M&A周辺の業務は専門知識の集合体であり、「この業界にいなければわからない言葉が山ほどある」という世界。無数の専門用語や財務文脈が飛び交い、最初は戸惑う場面も少なくありませんでした。しかし、それでも半年ほど経つ頃には自然と慣れ、言語体系が身体に染み付いていったといいます。
一方で、働き方のギャップに悩むことはほとんどありませんでした。「タフな働き方は経験済みだったので、そこでは苦労しなかった」と語るように、FASで求められる厳しさはむしろ相性が良かったのだと言えます。
こうして、DXへの飽和感から新たな専門領域への挑戦へと舵を切った第二章。
上司からの軽いアドバイスをきっかけに見えた世界は、Pさんのキャリアに新たな広がりをもたらしていくことになります。
専門性の深まりと、グローバルな手触りの中で見えた『優等生の世界』
FASでの働き方は、Pさんにとって未知の領域でした。M&Aに関わる案件は規模もプレッシャーも大きく、日々扱う案件は専門的なものです。たとえば金融機関が海外ファンドに出資する案件では、「数千億円規模の取引の裏側でDDや投資管理を任される」という経験を積みました。新聞や業界誌に自分が関わった案件が掲載されることもあり、社会を動かしている手触りが強く残ったといいます。
またBIG4ではグローバルプロジェクトも経験しました。クロスボーダー案件が多く、日本企業が海外進出する際には「日本側が窓口になり、実際に手を動かすのは海外のBIG4メンバー」という、国境を超えた体制でのプロジェクトでした。また、国内の金融監督庁の依頼を受け、海外の金融制度調査のため各国の主要金融機関やファンドにヒアリングを実施するなど、スケールの大きさに日々驚かされていたといいます。英語は得意だったこともあり、海外関連の案件に関わる機会は豊富で、自然と視野も広がっていきました。
案件だけではなく、体制でも違いがありました。ベイカレントと比べるとBIG4は役割分担が明確です。議事録作成やリサーチは担当するものの、クライアントへの最終的な提案はパートナーが行う、といった手続きが徹底されていました。
こうした「守備範囲の明確さ」は合理的である一方、ベイカレント時代のように若手が大きな裁量を持つ環境とは対照的でした。また、組織の雰囲気についても特徴がありました。「杓子定規で優等生タイプが多い」と感じることがあり、ロジックやセオリーを着実に積み上げていく堅実な人材が多い環境でした。もちろんその強みは大いに感じつつも、Pさん自身が「泥臭い現場で鍛えられたタイプ」であったがゆえに、周囲との仕事への姿勢に戸惑うこともあった、と振り返ります。
しかし、BIG4に身を置いたからこそ見えてきたものもあります。高い専門性、グローバルな視野、社会的インパクト。これらはベイカレントとは異なる次元の価値であり、Pさんのキャリアに新たな軸を与えました。
FASで過ごした時間は、専門職としての深みを増しつつも、自分がどのような環境で成長するのか、これからどのような働き方をしていきたいのか、を再考するきっかけにもなったのです。
30歳の節目に揺れた心と、総合商社という意外な着地点
FASで専門性を磨き、新聞に載るような大規模案件を担当する日々。その手触りは確かにあった。しかし、マネージャー昇進が見えてきたタイミングで、Pさんの中に新しい迷いが生まれました。
決定的だったのは、一緒に働いていた上司たちが一斉に転職していったことです。「案件を取ってくる力があり、一緒にいて心地よい人たちだった」と語る上司たちが立て続けにファームを離れ、チームの空気が大きく変わってしまいました。FASという専門領域に踏み込み、キャリアが深まりつつあったものの、「この先、ここで働き続けることが自分にとって最適なのか」という疑問が浮かび始めたといいます。
そんな中で迎えたのが30歳という節目でした。
M&Aにも強くなり、クロスボーダー案件も経験し、順当にいけばマネージャーへ昇進できる位置にいる。それでも「このままでいいのか?」と疑念は消えません。世の中の多くのビジネスパーソンが一度は抱く、キャリアの転換点。Pさんもまた、その揺らぎを正面から受け止めることになりました。
そんなタイミングで持ち上がったのが、転職の話。最初に声がかかったのは、BIG4の別FASからのオファーでした。しかし、話を聞くほどに「やっている内容がBIG4と変わらない」と感じ、「それなら転職の必要がない」と判断します。専門職として同じ環境に移るだけでは、根本的なモヤモヤは解消されないと直感したのです。
では、自分が求めているものは何なのか。その問いに対する答えは意外な方向から見えてきました。
事業会社を経験したい
M&AやPMIを支援する助言者としての立場ではなく、事業の主体者として意思決定する立場に立ってみたい。ベイカレントでの泥臭い経験、BIG4での専門性とグローバル視点。これらの経験を踏まえて、自分ごととして事業を生み出すフェーズに進みたい、という欲求が明確になっていったのです。
そこで候補に挙がったのが、総合商社でした。大手損害保険、外資ITなど複数のキャリアを検討したものの、未経験扱いではなく、これまでのキャリアを評価した上で採用される、と実感できたのが総合商社でした。事業投資というフィールドで、DX領域の新規事業に関わるポジションは、これまでの経験を最も活かせる場所でもありました。
こうしてPさんは、コンサルでもFASでもない、まったく新しいステージへと踏み出すことを決めます。
30歳の揺らぎを乗り越え、選んだ答えは事業をつくる側に立つ道でした。
▼コンサルティングファームから総合商社への転職体験談
社会人5〜10年 | 男性
事業企画・事業統括

ベイン・アンド・カンパニー
戦略コンサルタント,係長・リーダークラス社会人5〜10年 | 男性
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KPMGコンサルティング
業務プロセスコンサルタント,係長・リーダークラス社会人10〜15年 | 男性
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Strategy&
戦略コンサルタント,課長・マネージャークラス社会人10〜15年 | 女性
人材開発・人材育成・研修

デロイト トーマツ コンサルティング
組織・人事コンサルタント,課長・マネージャークラス社会人10〜15年 | 男性
経営企画・経営戦略

デロイト トーマツ コンサルティング
戦略コンサルタント,課長・マネージャークラス事業をつくる側の世界と、広がるキャリアの可能性
2025年、Pさんは総合商社へと転身しました。ここでは、AIやデジタル領域の企業を探索し、投資し、経営を管理する「事業投資の中心地」のような仕事を担っています。コンサルでもFASでも味わえなかった、自分が事業の主体者として関わる感覚が、日々のやりがいになっています。
さらに・・・



