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安定の先に見えたのは、退屈だった。元アクセンチュア社員が語るキャリアの選択|辞めコン実録集 vol.35

コンサルキャリアで最も特筆すべきことは、「ネクストキャリアを見越した入社」の方が多いことでしょう。

そして、コンサルに入社した方の多くが直面するのが、以下のような問いです。

  • いつファームを去るべきか
  • コンサルを経由したからこそ行けるネクストキャリアはどこか
  • 年収の増減をどう捉えるか

本シリーズでは、実際にコンサルを卒業してネクストキャリアを歩まれる方々にインタビューをし、ポストコンサルキャリアの実録を集めていきます。



実録:考えて終わりではなく、考えて動かす。Rさんがたどり着いたキャリアの原点


研究者を志していた青年は、コンサルティングの世界で磨いた「課題解決力」を武器にキャリアを築いてきました。

アクセンチュアでの徹底したクライアント志向、金融機関での安定と葛藤、監査法人での知的刺激と限界、そして再び金融の現場へ。


「結局、僕は考えて終わりじゃなく、考えて動かす方が性に合っているんですよ」

そう語るRさんの歩みは、ポストコンサルとしてのキャリアを模索する人にとって、等身大のヒントに満ちています。






「課題→仮説→検証→示唆」の思考プロセスに惹かれてコンサルへ


Rさんのキャリアは、理系研究者としての道から始まりました。大学院では地球温暖化や経済成長による食料需給の変化をテーマに、地理情報システムを用いたシミュレーションを行っていたといいます。



複数の気候データや土壌・標高データを用いて、どの地域で米や小麦などの作物が作れなくなるのかを2100年まで予測し、価格の推移までモデル化していました


研究者を志すも就職活動に苦戦する中で、「課題があって、仮説を立て、検証して示唆を出すというプロセスは研究職とほぼ同じ。であればコンサルでもいい」と考え、アクセンチュアへ入社しました。



当時のアクセンチュアは、今よりもはるかにハードワークで、「お客様へのコミットメントの高さが圧倒的」だったと振り返ります。



最低限の成果を出すだけではなく、どう期待を上回るかを常に考えていました。期日までに、相手が驚くような提案を出す。それを全員が当然のようにやっていた


その姿勢を支えるのが、徹底した思考と泥臭い努力。



朝から深夜まで働くのが普通でしたが、不思議と嫌ではなかっですね。やればやるほど、経営層の本気に触れられたから


印象に残るのは、ある銀行の勘定系システムを刷新する巨大プロジェクト。RさんはPMOとして、単なる進捗報告ではなく現場で起きている課題が、数年後にどんな影響を及ぼすか、まで見通し、CIOに毎月提言していました。



ときにはこのままでは採算が取れません、と耳の痛い報告もしました。でも『見過ごせないことを包み隠さず伝えるのが、プロとしての誠意だ』と思っていたんです」


5年間で5つのプロジェクトを経験し、そのすべてで経営層から「うちに転職してこないか」と声をかけられたことが、誇らしかったといいます。小規模チームで、役員クラスと直接対話しながら経営課題を扱う経験は、若手ながら「経営コンサルタントとしての視座」を形成する貴重な場となりました。



課題を解くだけでなく、その先にある企業の未来を描く


そんなアクセンチュア時代の徹底した姿勢は、今もRさんの仕事観の根底に息づいています。






安定と引き換えに失われた自分の意思。金融機関で感じたもどかしさ


アクセンチュアでの濃密な5年間を経て、Rさんは金融機関へ転職しました。


企業の転機となるタイミングで、システム人材が圧倒的に足りなかったんです。ベンダー任せの状態を変えるため、企画や上流設計ができる人を採りたいとオファーをいただきました


当時、ハードワークで体を壊す同僚を見ていたRさんにとって、そのオファーは魅力的でした。



労働時間が半分になる。しかも給料もほとんど変わらない。正直、もう少し人間らしい生活をしてもいいか、と思ったんです


入社後は、数百億円規模のシステム刷新プロジェクトの企画工程など、ハイレベルな案件を任されました。さらに、定時退社が可能になり、プライベートの時間も増えました。しかし数年が経つと、違和感が膨らんできたといいます。



企画検討までは担当できますが、実際の意思決定はすべて経営層。自分の提案が採用されるかどうかもわからない。最終的に、CIOの考えを資料化する係、になってしまったんです

 

コンサル時代は、自ら仮説を立て、経営層と直接議論し、提案の是非を問われる立場にあった。だが金融機関では、決裁までの階層が厚く、上に上がるほど会議での合意が重視され、個人の意思はかき消されていった、といいます。




その後経営企画に異動したのですが、結局やることは同じ。社長や副社長の考えを整理して資料にまとめるだけでした。会社全体のお金の流れを可視化する経営管理・管理会計業務や経費分析・妥当性検証などの業務も、自分じゃなくてもできる、と思ってしまった


アクセンチュア時代に培った、仮説から行動に落とす力を発揮する機会が少なく、次第にモチベーションが低下していきました。さらに組織文化にも限界を感じました



中途採用で部長まで上がる人はいない。10年後にようやく課長になっても、やることは進捗管理。年収もせいぜい1,000万円程度。それならこの先の20年をここで過ごす意味があるのかと考えてしまったんです


安定した環境でありながら、自分の考えが組織を動かす実感がない。

 

「安定は手に入れた。でも自分で未来を決められないというのが、何よりも苦しかった」と振り返ります。こうして、再び経営の最前線に戻りたい、という気持ちが芽生えていきました。



※アクセンチュアの組織文化についてはこの記事でも解説しています。






知的好奇心と現実の狭間で。Big4で感じた満たされない知的欲求


金融機関での10年を経て、Rさんは再びコンサルティング業界へと戻りました。転職先はBig4監査法人のリスクアドバイザリー部門。



事業会社の定常業務に飽きていたタイミングで、経営企画の経験を活かして、より上流で課題に向き合ってみないか、と誘われたんです。再びクライアントの経営課題に挑戦できるなら面白そうだと思いました


入社後、Rさんが感じたのは、「コンサル」と「リスクアドバイザリー」という仕事の性質の違いでした。


アクセンチュア時代は、企業の未来を共に設計していく仕事でした。経営層と議論し、意思決定に踏み込む。解決策の提言だけでなく、実行と成果まで伴走するのが当たり前だったんです


一方で、リスクアドバイザリーはその真逆だったといいます。



リスクアドバイザリーは助言に留まります。監査法人の一部門なので、法規制等による独立性の遵守がもとめられるため、クライアントによっては実行支援ができない。課題を指摘しこうすれば改善できます、と提言して終わり。つまり言って終わりなんです


実際、扱うテーマも経営戦略ではなく、ガバナンスやコンプライアンス、監査対応といった限られた領域。「課題の範囲がピンポイントなので、考え方も定型化されている。誰がやっても同じ結論になる仕事も多いのではないか」と感じたそうです。

 


アクセンチュアの感覚でやると、アウトプットにもどかしさを感じるんですよ。こんなんでいいの?、って思うことが増えていった。社長クラスが本当に欲しているのは、もっと上流の視点だろうと感じていました


働き方も変わりました。朝9時から夜9時のアクセンチュア時代に比べれば、確かに穏やかだったといえます。しかし、「考え抜く熱量」や「お客様へのコミットメントの強さ」が職場全体で薄まっているように見えたと語ります。


それでも、心を震わせるプロジェクトもありました。大学院時代に研究していた地球環境の知見を生かし、ESG領域の新規事業立ち上げを支援した案件です。


持続可能な社会というテーマを、今度はどうビジネスにするか、という視点で考えるのが面白かった。学生時代の研究がそのまま活きた瞬間でした


この経験を通じて、Rさんは自分の中の核を再確認します。


僕は考えて終わり、では満足できない。提案の先で、実際に成果を出すところまで責任を持ちたい、仕事を通じて知的好奇心や自分の興味関心を満たしていたいタイプなんです



▼コンサルティングファームから金融業界への転職体験談

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文化のギャップと再び現場へ戻る決意


Big4に転職してから数年後、Rさんはマネージャーに昇進しました。


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ワンキャリア転職編集部

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