「仕事ができない」と、認めるのは苦しい。
特に、高学歴な人ほどそうだろう。今まで、自分はできる側だった。高校でもトップの成績で志望大学に入り、トップ企業に内定し……。まさか、その後に「自分は社会のボトム層にいるのだ」と認めるのは、社会的な死に等しい。
だから、自分に言い聞かせてきた。上司運が悪かっただけ、職場との相性が悪かっただけ、もっと自分はできるはず……。
そのすべてが決壊して、涙が止まらなくなった。29歳ごろの話だ。
トップ企業への内定で、有頂天の社会人生活

新卒で、世界最大級の外資系消費財メーカーのマーケターになった。就活ガチ勢なら分かってくれると思う。就活、けっこうがんばった。
折しも当時は、リーマン・ショックが就活生を襲っていた。慶應義塾大学法学部。ほとんどの会社で学歴フィルターを受けずに済む大学名を引っ提げても、同級生には無い内定の人が多数いた。
そんな中で、某メーカーに入れてしまったのである。もう有頂天だった。当時の慶應には「はじめまして~。◯◯さんって言うんだ。内定先はどこ?」と自己紹介で内定先を名乗る恐ろしい文化があったが、そこでも堂々と振る舞えるチケットを得たわけだ。
同社は死ぬほど辛かったが、死ぬほど楽しかった。自分ひとり残って深夜労働しようが、同僚が体調不良になろうが、最後まで立っていれば勝ちなのだ。マラソンだと思えば、苦しいのも耐えられた。売り上げは史上最高を記録した。給料は毎年上がった。絶好調だ。
だが、転職を決めた。祖父が死に、祖母がそのショックでボケてしまっていた。さらに、結婚相手が東京にいた。
もっと言えば、某メーカーで生き抜く体力がないと感じていた。当時の同社では50代も、深夜まで働いていた。こんな暮らしを続けたら倒れる。そう思って、ラグジュアリー業界へ転職したわけだ。
問題は、そこからだった。
仕事ができない側だと気づいたきっかけ
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