一般的に、コンサルティングファームへ転職し、活躍するまでには高いハードルがあるといわれます。一方、コンサルタントとしてのキャリアだけではなく、ファームを卒業してからもコンサル経験がキャリアの機会を広げている事例は多く存在します。
未経験からコンサルに入社した方の多くが直面するのが、以下のような問いです。
・どのように準備し、コンサルティングファームに入社するのか
・つまずきがちなポイントをどう把握し、どう価値発揮するのか
・年収はどのように変化するのか
本シリーズでは、実際に未経験からコンサルタントに転職して、キャリアを歩まれる方々にインタビューをし、未経験からのコンサルキャリアの実録を集めていきます。
実録:コンサルでの修行期間で掴んだキャリアの武器
製薬会社のMRとして華々しい実績を残し、経営企画部門へと異動。順風満帆に見えるキャリアの中で、Cさんは27歳のとき「このままでは危うい」と強い危機感を覚えました。そこで彼は安定を手放し、あえて未経験からコンサルティング業界へ飛び込む決断をします。
議事録は真っ赤に直され、パワポは“命を懸けろ”と言われる。夜中の3時にエクセルを叩きながら、“何のためにやっているんだろう”と思う瞬間もありました
それでも「マネージャーになるまで辞めない」と決めて食らいつき、アクセンチュア、デロイトでの経験を糧に、現在は再び製薬業界でマーケティングの最前線に立っています。
年収の変遷や家庭との両立、修行のような日々の学びを赤裸々に語ってくれたCさんのストーリーは、これからキャリアの転機を迎える人に数多くのヒントを与えてくれるはずです。
営業成績日本一から本社経営企画部に栄転。それでも外へ出ようと思った理由
新卒で大手製薬会社に入社したCさんは、MR職からそのキャリアをスタートしました。約4年間で成果を積み重ね、ある製品では全国一の売上を記録。その実績が評価され、本社の企画職へ異動となりました。「成果を認められて本社に呼んでいただいた。周囲からも評価いただいており、ありがたかったです」と振り返るように、まさに「選ばれた」キャリアパスを勝ち取っていました。
異動先の経営企画では、日常的に外部のコンサルタントと接する機会が増えました。BCG等の大手ファームのコンサルタントと議論を重ねる中で、彼らの合意形成スキルの高さに驚き、またその仕事ぶりに魅了された、といいます。
話の組み立て方や業界知見の使い方、相手を納得させる力、そして資料の完成度まで、すべてが卓越していました。自分のパワポを見返すと、正直恥ずかしくなるほどでした
一方で、社内の空気に違和感も募っていきました。
同僚はコンサルを当たり前のように使い、注文はするけれど自分では考えられない。自分で手を動かし、知恵を絞る姿勢が社内に感じられず、社内のメンバーに対する敬意が薄れていくのを感じました
優秀な外部人材に依存度を高める事業運営体制は、Cさんの目には危うく映りました。
さらに同社では早期退職募集も進行しており、安定して見える大企業の将来も揺らぎ始めていました。
「10年後の自分は、今の上司の姿だと思ったときに、尊敬できるイメージが持てなかった」と語るように、キャリアの先行きに不安を抱きます。子どもが生まれ、家庭を守る責任が増したことも背中を押しました。
本社勤務=安泰、ではない。上司からの評価によってキャリア設計は簡単に変わってしまいます。一つのことしか経験していないキャリアになる方が危うい、と感じたんです
周囲からは「なんで辞めるのか」「せっかく選ばれたのに」と強く引き留められました。経営企画職は、アベンジャーズのように選抜された人材の集まりであり、その一員であること自体が誇らしいこと、とされていたからです。しかし、Cさんの考えは揺らぎませんでした。
肩書きだけが立派で実力が伴わない状態になってしまうとしたら、恥ずかしくてたまらないと思いました。ちょうど世の中的にも転職が当たり前として受け入れられる潮流が生じていたこともあり、一度コンサルタントとして働いて、スキルを磨きたいと思いました
尊敬が羨望へ、そして「自分もその土俵に立つ」という覚悟へ。安定している場所に留まるのではなく、自ら過酷な環境でチャレンジし、自分らしくありたい、という想いが、転職を決断する決め手となりました。
転職にあたって譲れない条件と家族の事情。そして本気の覚悟
Cさんが次に直面したのは、「コロナ禍もあり、未経験を募集しているファームは限られている」という現実でした。複数社に挑戦するも通過は一握り。最終的にはアクセンチュアに入社を決めました。
最初は正直、どのファームにどんな特徴があるのかなんて分かっていませんでした。残った選択肢がアクセンチュアだった。だから『ここでやるしかない』と腹をくくっていました
意思決定の裏には、仕事だけでなく家族の事情もありました。当時は地方都市に住み、妻は大都市圏で勤務。コロナ禍で移動や引っ越しに制限がある中、東京勤務を前提に転職活動を進めていたのです。
「自分の転職が決まらないと妻の生活や仕事にも影響が出てしまう。だからスピード感を持って進める必要がありました」と振り返ります。
そうした制約がありつつも、Cさんは絶対に譲れない条件を二つ設定していました。一つは年収ライン、もう一つは出張の頻度です。
年収は600万円までは下げてもよい、とエージェントに伝えていました。出張についても家庭の事情があるので、頻度は必ず確認していました。前者は夫婦として生活していくことを考えた基準、後者は将来的に子供がいる状態も考えての基準でした。
現実的な条件交渉を最初に固めることで、迷いなく意思決定できる状況を作っていきました。
一方で、選考に対しては特別な準備はしていませんでした。
一流のコンサルタントに対して付け焼刃的な準備は意味がないと思っていました。大事なのは、どんなに厳しい状況でも受け入れる『心づもり』だけ。辛くても、大変でも、入社した以上は修行だと思ってやる。マネージャーになるまでは何があっても辞めない、と決めていました
こうして、成果を出し、選ばれたキャリアを手放してまでCさんはコンサル業界に飛び込んでいきました。安定を捨てた代わりに、家族との将来を見据えながらも「外で通用する力」を本気で身につける覚悟。その芯の強さこそ、未経験転職の最大の武器になった、とCさんは振り返ります。
コンサルタントとして修行の日々と、そこからの学び
アクセンチュアに入社したCさんは、戦略案件を中心に担当することになりました。
「世間的にはSIer的な色が強いと言われがちですけど、僕は一度もIT案件をやらなかったんです。希望を汲んでもらい、ずっと戦略案件に関われたのは、恵まれていましたね」と振り返ります。
特に印象に残っているのは、最初のプロジェクトです。クライアントは偶然にも前職の製薬会社。
ビジネスユニットは違ったんですが、名前を言うと『あ、知ってる』とわかる人がクライアントでした。元社員としての目線で見られながら、リード役を担う。同じ会社だったという甘えは一切許されず、コンサルタントとしての振る舞いが常に求められ、ものすごく緊張しました
また、スキル面でも大きな壁が立ちはだかりました。
さらに・・・



