コンサルキャリアで最も特筆すべきことは、「ネクストキャリアを見越した入社」の方が多いことでしょう。
そして、コンサルに入社した方の多くが直面するのが、以下のような問いです。
・いつファームを去るべきか
・コンサルを経由したからこそ行けるネクストキャリアはどこか
・年収の増減をどう捉えるか
本シリーズでは、実際にコンサルを卒業してネクストキャリアを歩まれる方々にインタビューをし、ポストコンサルキャリアの実録を集めていきます。
実録:法曹家志望が上場企業のリスク管理責任者になるまで。全ては偶然のようで必然だった
司法試験をあきらめた後、自分に何ができるんだろうと思いました
そう語るNさんは、結果的にSIerとしてキャリアをスタートさせました。そこから、外資系セキュリティベンダー、コンサルファーム、ベンチャー系Fintech企業、大手生命保険会社といった多様な企業を渡り歩き、現在はスタートアップ系のFintech企業でリスク管理の責任者を担いつつ、さらなる働き方を模索しています。
振り返れば、選んできた道の多くは「偶然」の連続だったと語ります。しかし、そこには常に「自分が得意なこと」を見極める鋭い感覚がありました。
本記事では、Nさんがどのようにしてキャリアを切り拓き、自由度の高い現在の働き方にたどり着いたのか。その過程で得た気づきや、ポストコンサルへのアドバイスを伺いました。
SIerで見つけた情報セキュリティと法律の意外な共通点
最初は法曹家を目指していました。大学を出てから5年間はずっと勉強していたんです
Nさんのキャリアは、一般的な新卒一括採用のレールとは少し異なる始まり方をしています。司法試験という難関に挑んだ末、「違う道を選ぼう」と決意したのは27歳のとき。当時は「第二新卒」という言葉もまだ一般的ではなく、社会に出る一歩目はネットで見つけた中途採用の求人だったと言います。
たまたま応募したのが、SIerとしてのポジションで、クライアントに常駐する形での仕事でした
岡山の地に赴き、4年間にわたって泥臭い現場仕事に従事。ISMS(情報セキュリティマネジメントシステム)認証取得に関わる中で、Nさんの中に、情報セキュリティへの興味が生まれます。
情報セキュリティって、エンジニアの世界ではあるものの、実は“ルール”が大事なんです。読む、書く、構造化する。何を許容し、何を規制するのか。エンジニアはあくまで実装ができる人たちで、概念的に情報セキュリティの要件を定義することが得意なわけではない。でも、こうした文章による規制範囲の定義、という考え方は法律を学んでいた自分にはすごく馴染むものでした
ここから、Nさんの専門性が形作られていきます。SIerで働く傍ら、社会人向けの大学院に通い、情報セキュリティを体系的に学び、現場で実践を重ねていく日々を過ごします。
セキュリティの世界に惹かれ、コンサルへの扉が開く
NさんがSIer在籍中の20年以上前はまだ「コンサルタント」という職種が一般に広く知られていたわけではなく、転職そのものにも慎重な空気が漂っていました。また「終身雇用」が常識とされる時代。転職すれば「なにか問題があったのでは」と見られることも珍しくありませんでした。
セキュリティ分野の求人も少なかったですし、そもそも“転職”が今ほど活発じゃなかったんです。だから“数年で会社を辞めるなんてどうしたの?”っていう目で見られることもありましたね
そんな時代背景がありながらも、ISMS取得支援などを通して、企業に入り込んで仕組みを見直し、専門知識をもとに提案していく。そんなプロフェッショナルたちと接する中で、コンサルタントという仕事に強く惹かれていったのです。
現場でコンサルの方と話す中で、『この人たち、めちゃくちゃ知識あるし、頭の回転が早い』と感じたんです。専門性を活かして、企業の仕組みを俯瞰しながら提案していく。すごくかっこいい仕事だと思いました
最終的に転職先に選んだのは、外資系セキュリティベンダー。
販売だけでなく、ISMSやPマークといった認証取得の支援も行う情報セキュリティコンサル的な仕事があり、面白そうだなと感じて入社しました
コンサル現場で学んだ、わからなくても仕事を回す力
入社初日、『OJTで現場に行って』と言われたんです。でも、担当の部長が現れなくて……
外資系セキュリティベンダー時代の思い出を尋ねると、Nさんは苦笑しながらこう語ります。コンサルティングの現場に、ほぼ一人で放り込まれた初日。何をどう進めればいいのかも手探りの状態の中で、「現場感覚」を必死に身につけていったといいます。
『未経験の新しい分野でも勉強してキャッチアップする』が鉄則でした。お客さんと向き合いながら、「わかりません」、とは言えないので日々キャッチアップしていくしかありませんでした
常時3〜4案件を並行して担当するという多忙な日々。さまざまな企業、異なるスケール感、異なる課題。自分一人でお客さんと向き合い、提案からクロージングまで一貫して行う。その責任の重さと面白さが、Nさんを確実に鍛えていきました。
今振り返っても、あの時代が一番コンサルらしかったですね。“枠組みをなぞる”じゃなくて、自分で設計して、自分の言葉と自分の考えで勝負していた
セキュリティという専門性と、現場で培った泥臭い経験。それがNさんのプロフェッショナリズムの礎となっていきます。
シグマクシスでの葛藤と決別、事業会社へと舵を切る
厳しくも順調にコンサルタントとして活躍しているところ、米国本国のコンサル部門が買収され、日本支社の将来性に不安を感じてNさんは当時新たに立ち上がったコンサルファームであるシグマクシスに移籍します。
三菱商事とRHJ Internationalが合弁設立したファームであり、プロフェッショナルな環境が期待されましたが、実際に始まった仕事は想像と違いました。
立ち上がったばかりということもあり、当時は三菱商事に常駐して、資料作成やお手伝いをするという案件が多かったですね。“コンサル”ってこういう仕事なのか?という違和感が拭えませんでした
さらに・・・



