有名大学を卒業してから、20代を仕事に捧げてきた。定時で帰れる日なんてなかったし、眠れないほど悔しい思いも、涙ぐむほどの達成感も、必死に打ち込んだ仕事がくれたものだった。たまに友達と集まった夜は、「私たちバリキャリかも」なんて茶化しながら、仕事の愚痴をアルコールで流した。
気付いたらあっという間にアラサー。
ライフイベントや心身の変化のなかで、キャリアに迷うことが増えてきた。変わらず仕事に打ち込む人、家庭に比重を置く人、人生をガラッと変えた人も。みんなそれぞれの道を歩き始めた。
かつて、バリキャリだった私たちへ。
ねえ、今どんな暮らしをしてる?
何に悩んで、何と戦ってる?
これから、どんな未来にしたいと思ってる?
乾杯して、飲み込んできたホンネを教えてよ。
女性の「キャリアの交差点」をリアルに描く連載コラム、今日のお相手は?
三軒茶屋の駅からほど近い、路地裏の居酒屋。古民家を改装した店内は、平日の夜だというのに熱気でむせ返るようだ。
「先輩、ここ空いてた! 2人でーす!」
ひなたは、手際よく店員を捕まえて席を確保すると、メニューも見ずに「とりあえず生で」と声を張り上げた。
仕事帰りなのだろう。オフィスカジュアルのお手本のようなジャケットの袖からはApple Watchが覗き、指先にはボルドーのジェルネイル。 アレクサンドル・ドゥ・パリのバレッタでまとめた長い髪は、湿気のせいか少しだけ乱れていた。
乾杯も早々に、ひなたは生ビールを水のように喉に流し込む。足元の籠に置かれたバッグは、少し背伸びをして買ったであろうロエベのパズルトート。無造作に放り込まれたPCの充電ケーブルが端からはみ出している。
あっと言う間に2杯目。ひなたは、何かを洗い流そうとするようにピッチを上げている。ひとしきり職場の愚痴と、最近ハマっているサウナの話を聞いたあと、彼女のグラスが空いたタイミングを見計らって聞いた。
「で、どうなの? ほんとのところ」
ひなたはジョッキに残ったわずかなハイボールを名残惜しそうに飲み干して、どこか吹っ切れた表情で話し始めた。
「私ね、もう卒業するんです」
「誰よりも速く成長したいなら、ウチの会社においで」
明日が今いるベンチャーの最終出社日です。新卒から6年間、何もかも捧げて走ってきた場所を辞めるって、まだ実感が湧かないけど。
私、小さい頃から分かりやすい「頑張り屋さん」でした。
中学からずっとテニス部で、高3の夏まで部活を続けて、現役で合格したのはGMARCH――今はSMARTって言うんでしたっけ、まあいいや。就活が始まるまでは、周りの友達みたいに、金融とか公務員とかの安定した仕事に就くんだろうなって考えてました。
運命が変わったのは、大学3年の夏です。サークルの先輩に勧められてなんとなく参加したのが、今の会社のサマーインターンでした。
ここしかない。そう直感しました。
学生起業した社長は「世界を変える」って熱く語ってて、役員は戦略コンサル出身のロジカルモンスター。事業部長は誰もが知ってる大企業から転職してきたエース社員だった。
インターンに来てる学生たちも、みんな賢いのにすごく性格が良くて、目がキラキラしてる。こんな人たちと一緒に働いたら、私も格好いいビジネスパーソンになれるんじゃないかって思ったんです。
誰も知らない会社だったから、親とは喧嘩したし、友達には心配されました。でも、当時のメンターだった社員さんにこう言われました。
ひなたちゃん、安定が欲しいなら他へ行きな。
でも、君は頑張れる人だからもったいない。誰よりも速く成長したいなら、ウチの会社においで
完全に心掴まれちゃって、何の迷いもなく入社を決めました。
選ばれる自分になりたくて
だって、心のどこかでずっと思ってたんです。
もっと成長したい。誰かに選ばれる、特別な自分になりたいって。
レギュラーにはなれるけど、エースにはなれない。コーチが目をかけてくれるのは隣のあの子。そんな、あと一歩足りない自分がコンプレックスでした。私みたいな人が選ばれたいなら、もっともっと努力しないといけないんだって身に染みて感じました。
だから、サマーインターンには優秀な人たちがいくらでもいたのに、私の頑張りを見て「ウチの会社においで」って言ってもらえたのが本当に嬉しくて。
内定者インターンとして働き始めたときの高揚感は、今でも覚えてます。カフェみたいにお洒落なオフィスに通う自分が誇らしくて、友達にも自慢げでした。
急成長ベンチャーという「戦場」が居場所だった
第二創業期で急成長していたあの頃は、まるで戦場みたいでした。
内定者インターンとして営業部に配属されて、最初はひたすらテレアポ。そのまま新卒入社してからは、即戦力として新規営業で飛び回る毎日でした。
自分の目標達成は当たり前で、インターン生のマネジメントとか、採用イベントの手伝いとか、社内プロジェクトとか、とにかく色んな機会に手を挙げました。
8時半には出社して役員おすすめのビジネス書を読んで、Slackとメールをチェック。定時を過ぎたら先輩から営業ロープレでボコボコにされて、次の日の提案資料を作ったりメールを返したりすると22時。 そこから職場のみんなで飲みに行って、実家に帰るのは終電とタクシーを乗り継いで深夜1時過ぎ。
当たり前に体がもたなくなって、会社の近くで一人暮らしを始めました。
憧れの人が去っても、気にしなかった
それでも、楽しかったんです。初任給が周りより少し良かったし、「忙しいけど充実してる自分」に酔ってた部分もあると思います。
営業目標を達成したらみんなでハイタッチして飲んで、翌月にはもっと高い目標が降ってきて、また全力で走る。そんな部活みたいな日々が結構好きでした。
サマーインターンのときに憧れた事業部長も、メンターさんも、気付いたらもういなかった。
でも、気にしませんでした。「今度は私がカッコイイ先輩になる番だ」って、必死に背中を見せようとしてたから。マネージャーになった今、ロープレを指導する側にはなったけど、生活リズムはほとんど変わらないです。
みんなの頑張りと比例するように会社もどんどん大きくなって、従業員数も入社した頃の倍くらいになりました。オフィスは駅前にできたばかりのビルに移転して、窓から見える景色もずいぶん変わりました。
高層階から夜景を見ていると、私たちが積み上げた数字で会社が成長してるんだって実感できて、残業のモチベになってました。
客単価4,000円の暮らしに取り残されて
でもね。大学時代の友達と久しぶりに集まって、ふと我に返ったんです。
アラサーになって、みんな人生のステージが変わってたんですよ。
地方転勤から戻ってきた銀行員の子はサクッと結婚して、貯めたボーナスをマンションの頭金にするって。メーカー勤務の子は、副業が解禁されて新しいスキルを身につけて稼いでる。
友達が選ぶのは落ち着いたレストランなのに、私はまだ客単価4,000円の居酒屋で「ウェーイ!」ってやってる感覚が抜けなくて。
あれ? もしかして私の人生だけ停滞してる?
とっくに手取りを追い抜かれてるのは、何となく分かってました。ウチの会社は年俸制だし、家賃補助も退職金もない。ちゃんと目標を達成しても昇給はほんのちょっと。
副業や結婚なんて考える余裕もないくらい働いて。増えない給料を飲み会と衝動買いに費やして、貯金なんてほとんどない。土曜日は昼過ぎまで泥のように眠ってる。
「会社は成長してるけど、私の人生は?」 って、二日酔いの頭痛みたいに不安が広がってきたんです。
「出世しないお姉さんポジション」という憂鬱
社内での立ち位置にも、なんかモヤモヤするんですよね。
ウチの会社って、新卒社員はずっと残ってるか、3年目くらいで転職するかの二極化がすごくて。私はいろいろ捨てて残った側で、数少ない同期もプライベートは終わってます。
新卒から執行役員になった先輩たちは「俺たちに続いてくれよ」とか言ってきます。
でも、最近は部長から上の役職は、ピカピカの経歴の中途が埋めていっちゃう。上が詰まってるから、若手が勢いだけで抜擢されるチャンスなんてもう転がってない。自分が昇進したときの感覚のままで「もっと頑張れ」って言われても困るんですよね。
気付けば、グレードも給料も中途半端なところで止まってて、社歴だけが長くなってました。「みんなのお姉さん」ってノリで頼られるけど、そういうあなたのほうが役職も給料も上じゃんって。同じ場所で走り続けてる私ってハムスターみたいで、なんか可哀想になってきちゃって。
じゃあ役職を諦めて細く長く働けるかっていうと、それも違うんですよね。
Wantedlyでは「子育て世代に優しい」ってアピールしてるけど、それはコーポレートとかエンジニアとか、専門職で入ってくる中途の人たち向けだから。私にとってはリモートもフレックスも働きまくるための制度でしかないし、あれこれ増えた福利厚生も独身の一人暮らしには関係ないものばっかり。
新卒生え抜きは、「優しく」しなくても尽くしてくれるって思われてるんでしょうね。
私を大事にしてくれない人も、会社も、もういいや
決定打になったのは、恥ずかしいけど......失恋なんです。
さらに・・・



