女性活躍が広く語られるようになった今も、経営の意思決定やビジネスの表舞台に立つ女性は、いまだ多くはありません。
「バリキャリ」として1人で戦うことだけが道ではなく、成果を出しながら自分らしいキャリアを切り拓く女性たちが、今まさに各所で奮闘しています。
『100 HER(ハンドレッド・ハー)― 100人100通りの女性たち』では、そんな女性たちのキャリア戦略や仕事術、生き方を紹介します。キャリアに前向きに向き合うすべての人に、何か一つでもヒントが届けば嬉しい。そんな思いから「Project:F(プロジェクトエフ)」とワンキャリア転職が立ち上げた連載です。
第4回のゲストは、テレビ朝日で18年半アナウンサーとして活躍後、スタートアップ令和トラベルに転職し、現在はハワイの完全子会社アロハセブンの代表を務める大木優紀さん。安定した大企業から未知のスタートアップへ、そして海外赴任までのキャリア戦略と仕事への取り組み方について、株式会社Sworkers代表/Project:F主宰の坡山里帆(以下、はやまり。)が迫ります。
テレ朝アナウンサーからスタートアップへ。40代で異色の転職
はやまり。:まずは大木さんのこれまでのご経歴を教えてください。
大木:2003年にテレビ朝日に入社し、18年半アナウンサーとして働いていました。スタート時はスポーツ、バラエティ、朝の情報番組を中心に様々な仕事を経験し、30歳を超えてから2人の子どもを出産。それぞれ産休・育休を取得し、2人目を産んで復帰した頃には夕方のニュースとABEMAの番組を担当するようになりました。
元々旅行が大好きで、年に2回取れる休暇や3連休があればすぐに海外に行くような生活をしていたんです。そんな中、コロナ禍で海外旅行が「不要不急」と言われるようになり、不謹慎だという空気もある中で、「旅行って人生を豊かにする価値があるものなのに」というモヤモヤを抱えていました。
はやまり。:そこから転職を決意されたきっかけは何だったのでしょうか?
大木:そのモヤモヤを抱えている時に、まさにその思いで創業した令和トラベルの代表のnoteを偶然見つけたんです。その内容に共感して応募しました。
今思えばかなり珍しいのですが、2021年4月の創業時に連絡して、「私は4月以降の番組出演が決まっているので、入社は1年後でもいいですか?」と、テレビ局のゆったりとした時間感覚で言ってしまいました。
後から聞いた話では、代表も「スタートアップは会社があるかどうかも分からない。そんな時間軸で仕事していない」と思ったそうですが、結果的に翌年1月に入社することになりました。
入社後は、テレビ局にいたという経歴からPR部門に配属され、同社の旅行アプリ『NEWT(ニュート)』の広報活動に従事。その後、YouTubeやInstagramをはじめ、10を超えるSNSアカウントの運営にも携わっていました。2023年にはコミュニケーション部門を統括する執行役員に就任し、現在はハワイに拠点をおく子会社のALOHA7, IncのCEOを務めています。
スタートアップへの転職で変わった「働く意識」
はやまり。:アナウンサー時代とスタートアップでは、働き方や意識で変わったことはありますか?
大木:意識が一番変わったのは、途中で執行役員になったこともあるのですが、テレビ朝日という大企業で働いている時は、本当に組織の端っこに属している、守られているような感覚でした。
一方で、組織規模の小さいスタートアップに転職し、また執行役員になったことで「組織=自分ごと」になってくる。自分だけが成果を出していればいいという状態から、組織として勝たなければ組織自体がなくなってしまうという覚悟が生まれました。よく執行役員や役員を選ぶ時に「背中を預けられるか」という話が出ますが、最近になってその本当の意味がやっとわかったような気がします。
はやまり。:そこでプレッシャーや投げ出したくなることはありましたか?
大木:執行役員になった時は、正直その意味が分からなかったのでプレッシャーはありませんでした。
でも今はすごくありますね。組織が大きくなってきています。執行役員としてやらなければいけないことや、自分に足りない部分の解像度が上がってきたからです。
元アナウンサーが語る「決断」と「マネジメント」の壁
はやまり。:具体的に、アナウンサー時代にはなかった経験で苦労したことはありますか?
大木:今までやってきたことと全く違うことが2つありました。
さらに・・・



