「僕は1位へのこだわりっていうのを常に持ってました」──そう語るのは、株式会社SalesDex CEOの藤井翔太さん。
バンドマンとして音楽活動を行い、ホストとして夜の世界で数字を追い、法律事務所でパラリーガルとして債権回収の現場を経験。その後、営業未経験からYahoo!のPayPay事業立ち上げで2800人中の全国1位を獲得し、Salesforceでは西日本最速達成記録を樹立した異色の経歴を持つ。
日本最大級の営業の大会「S1グランプリ」とワンキャリア転職のコラボシリーズ「トップセールスの思考法」第5回では、「小さな1位」を積み重ねることで真のトップに上り詰めた藤井さんに、営業で成果を出すための思考法と、自己変革のメソッドを伺った。
華麗なキャリアの裏側。バンド、ホスト、法律事務所…異色の経歴
古瀬:まず最初に、藤井さんのこれまでのご経歴を教えていただければと思います。
藤井:大学は専修大学の法学部に通っていたのですが、その当時にバンドをしたり、ホストをしたりと色々ありまして、全然勉強しない学生だったので、大学を中退して、そのまま社会人になったという経緯です。
社会人になって最初の仕事が、いわゆるカスタマーサポートセンター、コールセンターですね。コールセンターを派遣とか契約社員で点々とするようなキャリアが仕事の実はスタートです。携帯の使い方をお伝えするとか、何かの手続きをお伝えするとか、クレームの窓口対応とかをやっていました。
古瀬:大体みんなが新卒で働くぐらいまではコールセンターで働いていたということですね。その後はどのような経緯で法律事務所に?
藤井:23、24歳ぐらいまでずっとコールセンターを点々としていました。周りが就職決まったよという話をし出す中で、さすがにやばいなと思って。元々法学部にいて司法試験や行政書士の勉強をしていたので、法律事務所で働きたいなと思って。たまたま面接を受けている中で一社採用してくれたので、正社員の初めてのキャリアが法律事務所になります。
法律事務所では大きく2つの業務をやっていました。1つが債権回収。未払いの大手だったり個人に対して、弁護士の指示のもと債権回収をしていく業務。もう1つが逆で、過払い請求や債務整理、破産といった一般民事事件のパラリーガルとして働いていました。実際の実務はほぼ全てやって、判子は弁護士が押すけど書類は全部作るというレベルまでやっていました。
古瀬:パラリーガルとして幅広い業務を経験されていたんですね。なぜ営業の道に進むことになったのでしょう?
藤井:これはよく話している経緯なんですが、法律の仕事ってマイナスをゼロにするしかできない仕事なんです。例えば、もう離婚は決まった上で慰謝料を取る取らないとか、損害が起きてしまったけど、取る慰謝料を100万にするか200万にするか。マイナスをゼロに近づけるという色が強い仕事で、そもそもトラブルが起きないのがいいんですが、誰かにプラスを提供できる仕事ではないというところにすごく限界を感じて。
自分も成長しながら、自分が属する会社もお客さんもウィンウィンウィンの形を取れる仕事って何だろうと思った時に、人と話すのが得意だったのでそこから営業という仕事を探して、最初に採ってくれたYahoo!株式会社の新規の立ち上げで営業としてキャリアを始めました。
古瀬:Yahoo!の新規の立ち上げというのは?
藤井:PayPayですね。PayPayという名前がつく前段階で募集していて、ちょうど立ち上げが福岡だった。ソフトバンクのお膝元ということもありましたし、正直ネームバリューに惹かれました。Yahoo!で働けるという名前にも惹かれましたし、新規でゼロから営業ができるということにも惹かれましたし、人と喋るのも得意だったので。
【高速成長の哲学】結果を出すためには、小さな1位を積み重ねる
古瀬:全く営業をやっていないところから成果に結びつけていったというのはすごく気になるところなんですが、どのような突破法があったのでしょうか?
藤井:僕は「1位へのこだわり」というのを常に持っていました。もしかしたら背景はホストをやっていたという、数字で争う世界にいたからかもしれませんが、1位以外は要は負けだという教えを受けてきたので、負けず嫌いだったんですね。
ちょっと掘り下げると、売上の1位とか営業成績の1位じゃなくても良くて、活動量の1位でもいいし、メールを書いた量の1位でもいいし、例えば1番最初にオフィスに来るでもいい。何でもいいので、1位を取って、それを積み重ねていくということをひたすら毎日毎日続けていました。結果として売上だったり営業成績だったりに繋がっていたので、小さな1位にこだわるということは常に心がけていました。
古瀬:1番最初の小さな1位って何だったんですか?
さらに・・・




