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32歳公務員、戦略的「ゆるキャリ」として働く覚悟【かつて、バリキャリだった私たちへ(2)】

有名大学を卒業してから、20代を仕事に捧げてきた。


定時で帰れる日なんてなかったし、眠れないほど悔しい思いも、涙ぐむほどの達成感も、必死に打ち込んだ仕事がくれたものだった。たまに友達と集まった夜は、「私たちバリキャリかも」なんて茶化しながら、仕事の愚痴をアルコールで流した。


気付いたらあっという間に30代。


ライフイベントや心身の変化のなかで、キャリアに迷うことが増えてきた。変わらず仕事に打ち込む人、家庭に比重を置く人、人生をガラッと変えた人も。みんなそれぞれの道を歩き始めた。


かつて、バリキャリだった私たちへ。


ねえ、今どんな暮らしをしてる?

何に悩んで、何と戦ってる?

これから、どんな未来にしたいと思ってる?

乾杯して、飲み込んできたホンネを教えてよ。


女性の「キャリアの交差点」をリアルに描く連載コラム、今日のお相手は?




未奈は、驚くほど変わっていなかった。シンプルなシャツワンピに、足元は丁寧に手入れされたレペットのバレエシューズ。ティファニーの結婚指輪の先には、短く整えられた桜色の爪が控えめに光る。ETVOSの下地とパウダーで薄付きに仕上げた肌が、ナチュラルな装いに馴染んでいる。OSAJIのフェイスカラーをふんわりのせた頬には、童顔を気にしていた頃の面影が残っていた。


「先輩、会いたかったです」

「ふたりめの出産おめでとう、未奈。元気そうでよかった」


日曜の昼下がりに訪れた、上野のカジュアルフレンチ。新歓合宿で缶チューハイを飲み切れなかった未奈は、迷わず自家製レモネードを選んだ。前菜の「サーモンマリネのサラダ」とよく合いそうだ。


「ゆっくりお昼食べるの、ほんとに久しぶりなんです……幸せだなあ」


そう言いながら、大好物のサーモンを頬張る姿が微笑ましい。


テーブルに横付けされたベビーカーだけが、時の流れを物語る。そっと覗き込むと、半年前に生まれた息子さんが寝息を立てている。娘さんは、旦那さんと週末恒例のドライブだという。


ひとしきり近況報告が終わったところで、私は切り出した。

 

「で、どうなの? ほんとのところ」


未奈は窓越しに空を見つめて、何を言おうか考えているようだった。レモネードをひとくち含んでから、言葉をひとつひとつ選ぶように、ゆっくり語り始めた。




「ゴリラ系ワーママ」になれない私の生きる道


私、ロバなんです。


仕事も育児も完璧にこなすママさんたちのこと、SNSで「ゴリラ系ワーママ」って言うんですけど。


私は真逆です。地味で、のろくて、コツコツ働く「ロバ系ワーママ」として生きていこうって思ってます。もっと頑張れよとか、ゆるい働き方だなって周りから思われても、そうするしかないから。


時短勤務の地方公務員って、正直ぜんぜん稼げないです。新しい給付金ができたから、復職したらもう少し余裕が出ると嬉しいですけど......。夫が頑張ってくれるお陰で不自由なく暮らせてます。


あ、でも、今の賃貸が狭くなってきたから物件を調べてみたら、さすがに高すぎて笑っちゃいました。私たちに持ち家は無理かもですけど、季節の果物を買うとか、子どもたちの教育費とか、老後のお金には心配しないで過ごせたらいいなって。


だから、家族のためにも、自分のためにも、一生働く覚悟だけは決めてます。






黙々と机に向かうのが好きだった


昔から引っ込み思案で、図鑑や本を読むのが好きでした。物静かなお父さんに似たんだと思います。


お母さんのことは、今もちょっと苦手です。教育熱心というか、過干渉というか......。専業主婦でずっと家にいたから、いつも見張られている気がして落ち着かなかったです。高校まで校則が厳しくて有名な女子校に通ってましたけど、学校にいるときのほうがずっと気が楽でした。


家に帰りたくなくて、放課後も教室に残って勉強してました。成績がいいとお母さんもうるさく言わないし、黙々と机に向かうのも嫌じゃなかったから。


だから、それほど苦労もなく、国立大学の理系学部に進学できました。親は医学部や薬学部に行ってほしそうでしたけど、私には向いてないから口出ししなかったんだと思います。




ハードな研究生活に、心も体も折れてしまった


学部の頃はよかったんです。でも、大学院は予想以上につらくて。


修論の実験データがうまく集まらなくて、大学から片道1時間半かかる実家に帰るのは0時過ぎ。お母さんには「帰りが遅い」って毎日怒られてました。そのうえ、学会の準備、授業のTA、イベントの運営とか、研究室で院生がやらなきゃいけない雑務が結構あって。民間就活で忙しい同期たちに頼まれて、私がぜんぶ抱え込んでました。


そうやって過ごしていたら、修士1年の冬、ベッドから起き上がれなくなりました。推薦で企業の研究職になりたかったけど、心がポキっと折れてしまって。それで、公務員試験にシフトしたんです。


背中を押してくれたのは、彼――今の夫です。


夫は一つ年上で、学部の頃に入っていたサークルで出会いました。授業で一緒になることはなかったけれど、なんだかほっとする存在で。研究室に行けなくなったときも、こう言ってくれました。


人生って、健康で幸せにいられることが一番大事だと思うんだ

未奈がちゃんとご飯食べて、眠れて、無理しないでいられる場所を探そうよ」


学部卒で就職した彼は、そのとき社会人3年目でした。新卒から人事労務部に配属されて、いろんな人生を垣間見たんでしょうね。




また壊れちゃったんです


新卒で公務員になってしばらくは穏やかに働いてました。勤務地も実家から近くて、周りの人達も優しいし、ここなら辞めないで働けるって思えました。


だけど、私、また壊れちゃったんです




異動したばかりの部署で、新型コロナの対応に追われる日々が始まりました。上司も先輩たちも疲れ切ってて、ひとりでも倒れたら、張り詰めた糸が切れてしまいそうでした。一番の若手だった私は、せめて手間をかけない存在でいようと思って、何を頼まれても断りませんでした。


朝は誰よりも早く出勤して、夜は上司やお母さんに心配されない時間で残業を切り上げてました。表向きは「早く帰る子」だったと思います。ほんとは、誰にも迷惑をかけないように、ずっと全力で走っていました


そうやって、気付けばまた抱え込んでたんです。


部署の忙しさがひと段落したある日、デスクで涙が止まらなくなりました。クリニックで適応障害だと告げられたとき、やっぱりそうだよねって、驚くほど冷静な自分がいました。


休職から復帰して、「もう自分を犠牲にする働き方はやめよう」って自分に約束しました。人は無理したら壊れるんだって身をもって知ったから。何より、仕事に穴を開けてしまった不甲斐なさと、お世話になった上司や先輩を悲しませる罪悪感は、もう味わいたくないですから。




バリキャリじゃない生存戦略が必要だった


休職する前は「私、このままでいいのかな?」って悩むこともあったんです。


周りで就職した人たちは、誰でも知ってる日系大手や外資系で頑張って働いてて。私もこの程度の残業でへばってたらダメだよなとか、スキルつけて転職したほうがいいのかなとか、みんなと自分を比べて落ち込んだりして。結婚とか家族とか考える余裕がなくて、彼との将来の話も、まだいいやって先延ばしにしてました。


でも、「バリキャリ」の端っこに足を踏み入れて、2回もつまずいて、よく分かったんです


私には、私に合った生存戦略が必要なんだって。


それで踏ん切りがついて、休職明けには夫と一緒に住み始め、入籍してまもなく娘を授かりました。夫は仕事を辞めてもいいって言ってくれたけど、「もう心配はかけないから、絶対に働き続けたい」って譲りませんでした。お母さんのようになるのが怖かったからです。


お母さんは寿退社でしたけど、本当は仕事を辞めたくなかったらしくて。それでずっと、不満をどこにも出せないまま、喪失感を埋めたくて私に干渉してきたんじゃないかって思うんです。


今は制度が整ってきたから、女性もキャリアを手放さずに済みます。それなら私は、仕事を続けて良い母親でいたいです。




「職場は人生の責任をとってくれない」


でも、そんな勇ましいこと、表向きにはとても言えないです。


育休から復帰して1年経たずに息子を妊娠したので、周りからの見え方は気になります。「制度をうまく使ってラクしてる」って思われてるかもしれないし、時短で小さい子どもがいると、上司も同僚もやりにくいだろうなって……。


それでも私は、子育てのピークを一気に乗り越えて、長く働き続けるって決めました。若手がどんどんいなくなって人手が足りないから、私みたいなやつでも、辞めないでいれば役に立つことはあるかなって。そうやって長い目で恩返ししようって思ってます。


そう思えたのは、職場の人たちのおかげです。ひとりめの妊娠を報告したとき、先輩ママさんたちがランチに誘ってくれました。子どもは小学生を過ぎたら少しずつ手が離れるから、焦らないで大丈夫って励ましてくれて。両立のためのアドバイスをたくさんくれました。


なかでも心に残ったのが、「職場は人生の責任をとってくれない」って言葉です。


あとになって、やっぱりもうひとり欲しかったと思っても、年齢的にも体力的にも難しいかもしれない。時間は戻らないから、自分の意思で今どうしたいかを決めないといけないよって。


そう言ってくれたママさん課長は、新人の頃に急ぎのお願いを断られて以来、ちょっと敬遠していた人でした。その人なりの葛藤や信念があったんだって、その時やっと気がつきました。




夫婦で育児を乗り越えることにした


仕事に全力投球しないと「無責任だ」って後ろ指をさされるムードってあるじゃないですか。でも、その課長の話を聞いて、ワークライフバランスをまるっと無視して生きていくのって、それはそれで自分の人生に無責任だよなって腹落ちしたんです。


それで夫婦で相談して、育児のいちばん大変な時期をまとめて乗り越えることにしました。夫はフルタイムですけど、今回も育休をとってくれたし、よっぽどの繁忙期でなければお風呂の時間までには帰ってきます。


夕方の明るいうちにお迎えに行って、夜は家族みんなで食卓を囲んで、寝る前にはゲームやくだらない話で息抜きして、次の日からもそこそこに頑張る。そういう生活が理想だよねって、夫ともよく話します。


贅沢はできなくても、子どもたちの笑い声の絶えない生活を夫婦で支えていく。そんな両親の背中を娘と息子が見ていてくれたら、大人になったときにも希望が持てるはずって思うから。






「冴えない働くおばさん」になりたい


そうそう、母校の女子校で、卒業生を招いた講演会をよくやってたのを思い出しました。

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ビストロちゃん

都内在住のミドサー。趣味はレストラン開拓とサシ飲み。とりあえずレバーパテを頼みがち。

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