有名大学を卒業してから、20代を仕事に捧げてきた。
定時で帰れる日なんてなかったし、眠れないほど悔しい思いも、涙ぐむほどの達成感も、必死に打ち込んだ仕事がくれたものだった。たまに友達と集まった夜は、「私たちバリキャリかも」なんて茶化しながら、仕事の愚痴をアルコールで流した。
気付いたらあっという間に30代。
ライフイベントや心身の変化のなかで、キャリアに迷うことが増えてきた。変わらず仕事に打ち込む人、家庭に比重を置く人、人生をガラッと変えた人も。みんなそれぞれの道を歩き始めた。
かつて、バリキャリだった私たちへ。
ねえ、今どんな暮らしをしてる?
何に悩んで、何と戦ってる?
これから、どんな未来にしたいと思ってる?
乾杯して、飲み込んできたホンネを教えてよ。
女性の「キャリアの交差点」をリアルに描く新連載、スタートです。
久しぶりに会うカレンは、少し痩せたかもしれない。
学生時代、アディダスのスタンスミスを履き潰していた足元は、今はローヒールのフェラガモに変わっていた。ディオールのクッションファンデで完璧に整えられた肌は、白磁のように透き通って、TASAKIのピアスがよく映える。けれど、その目の下には、YSLの上質なコンシーラーでも隠しきれない、うっすらとしたクマが浮かんでいた。
「久しぶり」
「遅くなってごめん、おつかれ」
神楽坂のワインビストロ。乾杯のために掲げたグラスには、きめ細かな泡が立ち上っている。サークルの飲み会で耳まで赤くしてカシオレを煽っていた彼女が、今はすいすいとシャンパンを口に運ぶ。
店の名物だという「燻製卵のポテトサラダ」を一口放り込んだ瞬間、彼女の目尻がふにゃりと下がる。あ、その笑顔は、昔のままだ。
カレンのスマホがひっきりなしに光る。ロック画面に映る娘さんは、今夜は実家に預けてきたという。
ひとしきり近況報告が終わったところで、私は切り出した。
「で、どうなの? ほんとのところ」
カレンは、ふう、と小さく息を吐いて、グラスに残った泡を見つめながら語り始めた。
このまま、いつまで走り続けられる?
外から見たら、キラキラしてるんだろうなって思うよ。
23区に新築マンション買って、年収もそこそこあって、コンサルのマネージャー。ファンド勤めの夫とかわいい娘。クルマは持ってないし、共働き前提の生活だけど、旅行や外食に困ったことは一度もない。そういう意味では、豊かな暮らしだなって思う。
そうやってハード情報だけ並べたら、「すごいですね!バリキャリのワーママさんですね!」ってリアクションしか返ってこないのも分かってる。悩みなんて言ったら、嫌味だって思われるだろうし。
でもさ、ほんとは心も身体も、崩れかけのまま走り続けてる。
こんな生活、いつまでもつんだろうって毎日思ってるよ。
正直に言うとさ――仕事、やめたくてしょうがないんだよね。
「努力が好き」って思ってた
頑張るのは、昔から好きだった。
血の滲むような受験を乗り越えて「名門」と言われる中高一貫に滑り込んだ。そこからは、東大めざして予備校と学校を行ったり来たりして、一浪してようやく志望校に手が届いた。地頭がよかったわけじゃない。とにかく手を抜かずにやれば、いつか結果がついてくる。それだけだった。
覚えてる? 新卒でコンサルに入ったときも、「カレンらしいね」って皆が言ってたよね。私もそう信じてた。だって、自分は仕事に生きる人間なんだろうなと思ってたから。
高校でも大学でも恋愛したし、楽しいこともあったけど、結婚して家庭を持つ未来がリアルに思えなかったんだよね。誰かの妻や母になるより、キャリアを築く方がずっと魅力的だった。
結婚や出産で仕事を辞めるなんて、これまで積み上げてきた努力をムダにするようなこと、自分には無縁だと思ってた。
死にもの狂いだった新卒時代
うちらが新卒のときのコンサルって、ぜんぜん優しくなかったよね。
徹夜なんて当たり前すぎて、数えたこともない。朝までデューデリの資料作って、タクシーで帰って、シャワーだけ浴びてまた出社。トイレで寝落ちしたこともある。コロナ禍の在宅勤務中は、一度も陽の光を浴びずに終わる日もざらにあった。
自分がコンサルに向いてると思ったことはないけれど、辞めようとは全く思わなかった。
「負けたくない」とか「やり切りたい」とか、そんな気持ちばっかりで動いてた。入社して1年、3年、5年。気づいたら同期がどんどん辞めていくなかで、自分だけは立ってたいって思ってた。
夫はファームの同期で、現役で慶應に入った1歳下。娘の育休中に転職して、今はファンドで働いてる。最初は意識してなかったけど、すっかり人数の減った「同期会」で話すうちに、二人で深夜のワインバーに顔を出すようになった。
「結婚しても、キャリアって終わらないよね」
「むしろ、どんな選択肢を取るかが人生じゃない?」
その言葉に、ちょっと救われた。だから、プロポーズされたときも迷いはなかった。
「この人となら、結婚してもバリキャリを諦めずにいられる」って、心から思えたから。
妊娠して初めて「がんばれない自分」を許せた
転機は妊娠だった。
つわりがひどくて、会議中はいつも集中できなかった。資料を読み込もうとしても気持ち悪くなって、パソコンの画面を見てるだけで涙が出て。
「ああ、私ってこんなにできないんだ」って思ったの、久しぶりだったな。
でも、どこかでホッとしたんだ。
妊娠は絶対に身体が変化する。だから、どんなに頑張りたくてもフィジカルがついてこないときがある。精神論で解決できない世界に触れて、はじめて「無理しなくてもいいんだ」って、自分を許せたんだよね。
娘が生まれてからの時間は、これまでの人生で一番やわらかい気持ちで過ごした。
育休中に都内のホテルに泊まったり、昼間からベビーカーでアフタヌーンティーに出かけたり。時間がゆっくり流れて、自分が人間に戻った気がした。
職場に妊娠を報告したとき、「最速で職場復帰します!」って宣言したの、バカだったなぁって思うよ。でも、あれ以上休んでたら、もう戻ってこられなかったかも。
育休明けのマネージャー昇進
復帰してすぐ、DEIの波に乗ってマネージャーに昇進した。
響きだけなら聞こえはいいけど、実際は大変でさ。
産後の回りきらない頭で、ミーティング、資料作成、クライアントとの調整、若手の面倒も全部見る。社内の「女性活躍セッション」とか採用業務にも呼ばれるから、昼間の貴重な時間がどんどん削られていく。
でも、これで音を上げたら「やっぱり女はダメだ」って叩かれるでしょ?
そんなの悔しいから手を抜けなくて、寝かしつけの後にPCを開いて、深夜にソファで気絶する、みたいな毎日。
保育園のお迎えや掃除はシッターさんに頼んでる。けど、私も18時には常駐先のオフィスからダッシュで帰ってるよ。夕飯の準備や知育はなるべくやるようにしてるんだ。なんとなく、外注に丸投げするのは違うなって思って。だって、私の受験の支えは、ママの手料理や優しい声かけだったから。
不思議と嫌じゃないんだよね。むしろ、小さい子の相手のほうが、仕事より全然楽しい。イヤイヤ期だって、生意気なジュニアより何千倍もましに感じる。
ふと思うんだよね。男っていいよなって。
夫とは、平日はほとんどすれ違い。出張先に私と娘が合流して現地集合で旅行するとか、思いつきで国内のリゾートに行ったりするのが、よくある家族の週末って感じ。
ふと思うんだよね。男っていいよなって。
何も犠牲にしないで、かわいい子どもが手に入って、育休の間にちゃっかりキャリアアップして。一等地のマンション、ご機嫌な妻、週末は家族とリゾートでリフレッシュ。
――それ、キラキラしてんのは私じゃなくて、あんたの方じゃん?って。
でね、ようやく気づいちゃった。
さらに・・・








